「ブルータス、お前もか」カエサル暗殺事件が起きた場所(イタリア/ローマ)

 イウス・ユリウス・カエサル、つまり英語でいうとシーザーだけれども、端的な紹介が思い浮かばない。今のガリア、つまり今のフランスを征服して、さらに余勢をかって、チャーチル曰く「大英帝国の歴史は、カエサルがドーバー海峡を渡った時より始まった」となるブリテン島まで足を延ばしている。はたまた、共和政ローマの議員としては、国家転覆の嫌疑がかけられたカティリーナをかばってキケロとやりあう大論客、敏腕弁護士でもある。誰もが知っているクレオパトラ、つまりプトレマイオス朝のクレオパトラ7世と間に子を授かったとされ、かつローマ中の人妻を口説いて回ったとも揶揄される、女好きのハゲで、借金王でもある。そして、政治的には平民派でありながら、色々あって三頭政治、そして三頭政治の分裂と内乱後には終身の独裁官として共和政ローマの終わりを始めたと思えば、ユリウス暦による、うるう年の発明者だし「7月」をJulyというのもユリウスの名にちなんでいる。ドイツ語のカイザーやロシア語のツァーリーの語源であり、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」の主人公にして、後年、カエサルにちなんだメキシコのイタリア料理店が発明したイタリア風チーズ入りサラダ、つまりシーザーサラダの淵源となる人物でもある。

 と、カエサルだけで何行になったかわからないけれども、やっぱり端的に紹介はできない。この大人物が独裁官に就任して、絶頂期にある紀元前44年の3月15日―そもそも日本でいうと弥生時代に正確な日付が記録されていること自体、驚異的である―に事件は起きた。
 議場は当時世界最大の収容規模を誇ったポンペイウス劇場。かつてのカエサルの盟友にして、内乱で敗れた政敵ポンペイウスが建造した劇場である。と、議場に登院しかけたカエサルめがけて、神殿の列柱から何人もの男たちが沸いてきた。手に短刀を持って一刺しずつ。刺客たちのうちに、一人の男を認めたカエサルが一言、「ブルータス、お前もか」と腹心の裏切りに気付いて、絶命する。事実上の独裁者となったカエサルに対する、共和派のクーデターと暗殺事件が発生した。
 それから2055年たって、現場となったポンペイウス劇場脇の神殿が並ぶエリアを訪ねてみた。現代的には、トッレ・アルジェンティーナ広場と呼ばれる一角。路地を抜けると建物の中、唐突に半地下の発掘現場が現れる。映画やジェロームの歴史画と違って、列柱は意外にシンプルだ。赤茶けているのは劣化によるものなのか、当時のままなのか。
 強い夏の日差しに、黒々としたローマ松が影を作って、その下で野良猫がのんびり過ごしているのが見えた。ちなみに、イタリア国旗がかかった白い建物は、アルジェンティーナ劇場というそうで、歌劇「セビリアの理髪師」の初演が行われた由緒ある劇場だそうだ。ポンペイウス劇場の跡地に、ローマ人の子孫が名劇場を建てたというのが面白い。都心には劇場を、というのがラテンの血なのだろうか。
 手元のスマートフォンを一瞥して、ふと思い出す。10年位前に読んだシェイクスピアの戯曲には、英語風の発音に即して「お前もか、ブルートゥス」とあったけれども、今それを読み返すと、なんだか通信規格を連想して間抜けな感じがするに違いない、とどうでもいいことを考えてしまった。



●とき
 2011‎年‎8‎月‎27‎日
●ところ
 ローマ、トッレ・アルジェンティーナ広場。チェザリーニ通り、つまりカエサルの名前を冠した通り側からの眺め(大まかな住所は末尾参照)


●アクセス
 ヴェネツィア宮殿、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂とカピトリーノ美術館の並びの近く。パンテオンからも遠くない。つまり今も昔も、ローマの都心にある。
●もの
 ポンペイウス劇場脇の神殿群、ガイウス・ユリウス・カエサル暗殺事件の現場
●こと
 「ジュリアス・シーザー」ウィリアム・シェイクスピア
 ロッシーニ作曲「セビリアの理髪師」
 ブルータスとブルートゥース、綴りが違うことを承知の上で、スマホネイティブ世代のための新訳版の出版を願ったこと

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