ライヘンバッハの滝(スイス/マイリンゲン)

 羽と劉邦、ナポレオンとウェリントン公、そしてコリョロフとフォン・ブラウン。宿敵同士の対決には、舞台装置も必要だと思う。ここもその一つ。マイリンゲンはライヘンバッハの滝あまりにも有名な対決の舞台にやってきた。
 それはじつに恐ろしい場所だった。雪どけで増水した激流は、巨大な深淵にむかって恐ろしい勢いで落下していた。あたりは飛沫で火事場の煙のようなものが立ち込めている。真っ黒に光る岩にせかれて、巨大な青い水柱となって落ちる水は、底知れぬ滝つぼにわきかえり、煮えかえり、飛沫をあげ、耳をろうするうなりをあげ、見ているものの頭をくらくらさせる。
と、ワトソン博士(に書かせたコナン・ドイル)が1891年5月のライヘンバッハの滝を描写している。宿敵モリアティ教授から逃れてシャーロック・ホームズとワトソン博士は、マイリンゲンの英国旅館に一泊した翌日、ローゼンラウイに向かう途中でこのライヘンバッハの滝を見物している。
 コナン・ドイルの描写ほど、水煙はないけれども、ライヘンバッハの滝は轟々と音を立てていた。滝は、中ほどで、岩肌にあけた穴を通って落ちていく。ホームズたちに同じく、雪解けの時期に訪れなかったのは、時期を逸したのかもしれない。
 滝の脇には「棚のような岩壁」がそびえている。この崖で、ついにモリアティ教授と対面する。この崖こそが、世紀の対決の舞台、ワトソン博士曰く「もっとも危険な犯罪王と、時代にぬきんでた大探偵王」との闘争が行われた「事件現場」だ。2005年にはロンドン・シャーロック・ホームズ協会が「ライヘンバッハの滝の戦い」の再現イベントを行っている。
 滝の反対側には渓谷が広がっていた。ワトソン博士はこの峠を2往復、うち1往復相当分は、下りに1時間、そして上ること2時間の往復マラソンをこなしている。疲れることは必定に違いない。
 ふと、崖の上から何人分かの黒い人影が見えた。そうだ、ライヘンバッハの滝を見下ろす崖の上には、もう一人、モリアティの子分、モラン大佐が居たことを思い出した。頭上に心をやりながら、山を下る。スイスを回ったら、来週にはイタリア―フィレンツェあたり―に抜けよう。ある、ライヘンバッハの滝から始まる旅路のことを思い出した。

●とき
 ‎2017‎年‎9‎月‎17‎日
●ところ
 マイリンゲン、ライヘンバッハの滝
●アクセス
 ふもとのマイリンゲンからケーブルカーが伸びている。ケーブルカーがあれば、ワトソン博士のマイリンゲン=ライヘンバッハの滝往復も、もっと違った結果になったかもしれない。
●もの
 ライヘンバッハの滝
●こと
 「シャーロック・ホームズの思い出」コナン・ドイルより「最後の事件」
 ※引用文は延原謙訳、新潮文庫の八十八刷を出典とした。

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