蒸気機関車オリヴァー・クロムウェル号とカテドラル・エクスプレス(イギリス/イーリー)

 「チェイーンジ、アット、イィーリィ!」
 車掌女史が社内検札に合わせて、少し節を効かせたアクセントで乗換駅を案内してくれた。ピーターバラから麦畑の真ん中を通って30分、ローカル線はイーリーの駅についた。ここで、ケンブリッジに向かう列車に乗り換えなければならない。
 乗り換え線のホームは、田舎駅に似つかわしくなく、すこしドレスアップした服装の家族連れや夫婦で混み合っていた。ところどころ、カメラを首から下げた男性たち―少年から老人まで―も交じっている。
 にぎやかな集団から離れたところで、ベンチに座っている老婦人が居た。どうやら彼女もホームの浮つきとは無縁で、同じ列車を待つために座っているらしい。目が合った。断りを入れて、隣に座らせてもらうことにした。
 ホームの浮ついた彼らは何を待っているのだろう。そんな疑問を察してか、老婦人が教えてくれた。
 「蒸気機関車が来るのよ。オリヴァー・クロムウェル号、といって直ぐにも入ってくるわ」
 そういえば、鉄道発祥の国に滞在して3週間以上経つけれども、まだ蒸気機関車を目にしていない。数時間前に、車窓からヨークの国立鉄道博物館を眺めるまま、通過してしまったのは、もったいなかったかもしれない。でも、偶然ながら、ここで保存鉄道にお目にかかれるらしい。
 「ありがとう。では、せっかくなので」とお礼を告げて、僕もホームの浮つきに参加することにした。せっかくならば、視界が遮られないところから見てみたい。
 果たして、蒸気機関車がゆっくりと入線してきた。往時の姿は知らないけれども、短編成のローカル線に乗ってきたせいか、ずいぶんと長編成をけん引しているように見える。
 イギリスでもそう言うのかは知らないけれども、ヘッドマークには、カシードラルズ・エクスプレス、と書いてある。訳すとしたら、カタカナ語で「カテドラル・エクスプレス」とか、直訳して「大聖堂特急」といったところだろうか。
入線した「カテドラル・エクスプレス」の客車が目の前を流れていくので、窓越しに覗いてみた。空席が目立っているけれども、ここイーリーで埋めていくらしい。向かいあった座席の間にテーブルがあって、白いクロスの上に何本かワイングラスが置いてある。
 なるほど、このカテドラル・エクスプレスというのは、保存鉄道に乗りながら、ディナーを、という趣向らしい。ドレスアップした家族連れは、この特急列車の乗客らしい。
 ゆっくり、ゆっくりと、最後に連結器がぶつかり合う鈍い音を残して、列車が止まる。各客車のドアには、名簿らしきものが張り出してあって、余所行きの人たちが手元の紙と照らし合わせている。全席指定席列車というべきか、完全予約制レストランというべきか、衝動で飛び乗ることは許されないらしい。
 そのうち、先頭から甲高い音がして、汽笛一声、オリヴァー・クロムウェル号とカテドラル・エクスプレスは煙を残して出発していった。他に何することもないので、その後姿がケンブリッジの方向に小さくなっていくのを見送っていると、口笛が聞こえてきた。
 振り返ると、学生然というか、旅行者然としたアジア系カップルの男の方がカルメンの「闘牛士の唄」のメロディーを吹いている。そこは、ドヴォルザークの「新世界より」ではないのか、と思ったけれども、不思議と汽車の音と調子があっていた。
 蒸気の音も口笛も止んだ後、ホームはいやに静かになった。普段の田舎駅に戻った、というのか、それ以上にお祭りの後のような、熱気が抜けた感じというか。カメラを抱えてた趣味人もホームを後にし始めて、後に残されたのは、僕のような普通の乗客―もちろん先ほどの老婦人と口笛カップルも含まれる―だけだ。
 遠くに、大きな石塔が夕日を浴びているのが見えた。「大聖堂特急」の停車駅だけあって、地元の大聖堂の伽藍かもしれない。
 後日、知ることになるのだが、やはりイーリーには有名な大聖堂があるそうだ。もう一つ、護国卿オリヴァー・クロムウェル―ここでは歴史上の人物―は、ケンブリッジ大学を卒業した後の一時期、ここイーリーに住んだことがあって、クロムウェルの屋敷というのも残っているようだ。つまり、「大聖堂特急」をけん引して、護国卿が住んだ町々を「オリヴァー・クロムウェル号」が進んでいくというのは、お国入りという意匠なのかもしれない
間をおかずして、臨時列車に道を譲っていた、ケンブリッジ方面行の特急がやってきた。不思議なことに、蒸気機関車という19世紀的な乗り物を、現代の汽車、つまりディーゼル列車で追いかけることになってしまった。



●とき
 2009年8月23日
●ところ
 イーリー、ステーション通り、イーリー駅構内の島式ホーム



●もの
 蒸気機関車オリヴァー・クロムウェル号、カシードラルズ・エクスプレス(若しくは、「カテドラル・エクスプレス」又は「大聖堂特急」)
●こと
 ビゼー作曲「カルメン」より「闘牛士の唄」、ドヴォルザーク作曲「交響曲第9番”新世界より”」第四楽章

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