赤い城(マルタ/メリッハ)

 涼とした丘陵。無駄に韻を踏んでみながら、マルタ島の西端、メリッハ湾とマルファ湾を背にして、丘を登っていく。周囲は荒地で、日差しを遮るものはない。荒地は低い石壁で細かく区切られていて、ところどころ、廃屋やバラックが見える。もしかしたら、このあたりは休耕畑か耕作放棄地なのかもしれない。
 丘の頂上に目当ての建物が見えた。この2日間、勝手に「赤い城」と呼んでいたけれども、正しくは「聖アガサの塔」というらしい。銘板が教えてくれた。聖アガサというと、マルタ島の守護聖人だそうだけれども、近くで見ると、拍子抜けするくらいに小さい。
聖アガサの塔(正面)
 この前日。メリッハ湾に差し掛かったバスの車窓から、真っ赤な人工物が見えた。真っ青なマルタの空の下、黒みがかった緑と白い石の荒地の上に立つ赤い四角形が鮮烈だった。
 城、もとい、塔の周りを眺めてみる。その気になれば乗り越えられそうな石垣が続いているけれども、なるほど、一応イタリア式に星形になっているのに気づく。足元まで敵がやってくることを想定していたらしい。
 塔の正面に向かおうとしたところで、思わず苦笑してしまう。面によって色の濃さが違っていて、予算不足なのか、順次塗り直しているということなのか、幹線道路に面した向きだけは鮮やかな赤色になっていて、それ以外は少しすえたストロベリー色に薄まっている。なんとなく、見栄っ張りというか、遠目でわからなければそれでいい、というか、いい加減さを感じた気がして、苦笑いした。
 看板が出ていて、塔内に入れると書いてある。ただ、営業は10時から。入り口が開くまであと1時間半、待たなければいけない。とりあえず、正面の橋を渡って、入り口前に腰を下ろす。
 入り口左側に銘板があって、塔の由来が書いてある。曰く、1649年に建てられたこの「聖アガサの塔」は、この戦略的要衝にあって「物見櫓」としてヴァレッタに通報する企図があって、普段は1名の駐在の砲手と、3名の民兵によって守られ、有事には50人が収容できた、云々。
そうか、と一人で納得する。この丘からなら、海峡を監視することができ、西海岸の長い海岸線と広い砂浜―それっぽく言うと「上陸適地」といった感じか―を監視でき、ひいては西からヴァレッタに向かう脅威を早期警戒できる、この丘の戦略的価値を見出して聖ヨハネ騎士団が見張り台兼砦として建造したのだ。
 ちなみに、塔の建造から時代を下って、第二次世界大戦中も、メリッハ湾にはイギリス軍の海岸トーチカが置かれていたし、塔から少し行ったところにレーダサイトが置いてあったようだ。やっぱり、この丘は戦略的要衝なのだ。


「さて、これからどこに行こうか」
 正面の景色に目を戻して、つぶやいてみる。荒地のてっぺんに自分ひとり。朝日を浴びた地峡が横たわっていて、左手にメリッハ湾、右側にはアンカー湾が広がっている。反対側に行けば、マルファ湾とパラダイス湾に挟まれて、ゴゾ島と海峡が横たわっているはずだ。
 まだ朝のうちだから、どこかの湾の砂浜に行ってみるのもいい。貸し切りにできたなら、男一人、気兼ねなく海水浴をするのも悪くない。どうせ、日差しの強い帰り道だし、汗をかくに決まっている。
 そうだ、途中、ビールでも買いながら、パラダイス湾に行ってみよう。文字どおりの天国に違いない。そう決めて、僕は荒地を歩き始めた。



●とき
 2016年9月23日
●ところ
 グジラの町とチルケッワの半島の間、グジラ自然保護区にほど近い荒地だけれども、住所の上ではメリッハという町に含まれるらしい。

●アクセス
 チルケッワのフェリーターミナルからバスで4つ目の停留所、グジラの町に入る手前のロータリーで降りて、15分ほど丘を登る。
 ヴァレッタやスリーマからなら、メリッハベイ海水浴場やグジラベイ海水浴場のついでに足を延ばせる距離ではある。
●もの
 聖アガサの塔

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