ライオン像の丘(ベルギー/ワーテルロー)

 イオンの像、といっても銀座三越でもトラファルガー広場でもなく、辺鄙な田舎の話。ブリュッセルから電車とバスで45分ほど南に下った田園の丘の上、そのライオンはポツンと佇んでいた。
 1814年の諸国民戦争の敗北とパリ陥落により、エルバ島に追われた元皇帝ナポレオンは、翌年、パリに帰還して復位する。これを許容しえないイギリス、オランダ等々のウェリントン公爵率いる連合軍と、ナポレオンが率いるフランス軍が激突したのが、ベルギーのワーテルロー、つまりこのライオンが立っている場所になる。
 詳しい話は世界史の教科書と映画に譲るとして、ワーテルロー会戦から約200年後に、古戦場を訪れた話。朝、ブリュッセル市街の南まで電車で出て、バスに乗って30分ほど。畑の真ん中で降りる。関ケ原にせよ、川中島にせよそうかもしれないけれども、拍子抜けするほどの田舎。何もない。ただ、遠目に三角錐の丘が見えている

 あぜ道を進んで行くと、意外に三角錐の勾配が急峻で人工的なことに気づく。そのはずで、連合軍に参加していた後のオランダ国王(ウィレム2世)の負傷した場所に、会戦から約10年して、慰霊碑として標高41メートルの丘と226段の階段、28トンのライオン像が建立されたそうだ。
 どんよりとした空の下、前日の雨に濡れた階段を昇っていく。そういえば、ワーテルロー会戦の前日は大雨が降っていて、当日も午前中一杯ぐずついた天気だったらしい。なんとなく、ぬかるんだあぜ道を振り返りながら、200年前のワーテルローを追体験した気になってみる。この道を大砲を押して進むのは、大変だ。道理でワーテルロー会戦では、移動に四苦八苦、援軍はまだかとやきもき、そんな様が両軍とも見られていたはずだ。
登頂。人の身長の3倍ほどある台座が高すぎて、ライオン像を間近に見るのは難しかった。遠くから眺めるものなんだと思う。その代りというか、ライオンの視線の先をたどってみると、フランス軍が陣地を置いていた平原と激戦地だったウーグモン農場が一望できる。そうか、ここは大陸だったんだ

 この後、馬の後ろについてウーグモン農場を訪問したり、道に迷ってヒッチハイクに手を出したりするが、それはまた別の話



●とき
 2013年9月15日
●ところ
 ワーテルロー、ライオン道路(大まかな住所については末尾参照)



●アクセス
 今思い出すと、最寄り駅のブレン・ラルーまで電車で行って、バスに乗り換えたほうが、早くて楽だったかもしれない。
●もの
 ライオン像
●こと
 ワーテルロー会戦

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