湖畔の村と城(フランス/イヴォワール)

 マン湖の南半分は実はフランス領、という単純な事実に気づいたのはスイスに着いて2日目の朝、モントルーの宿でジュネーブへの日帰りを検討しているときだった。グーグルマップ上、湖の真ん中にスイス/フランスと白い線が引いてある。海に国境があるように、国際河川や国際湖沼にも国境があって当然なのだ。
 フランス側に、湖船路線が扇状に集まる地点を見つけた。イヴォワールという名前の村らしい。そういえば、手元のレイルパスは湖船にも使えたはずだ。イヴォワールにはクレープ屋もあるらしい。ジュネーブからの復路、寄り道することにした。
 スイス側のニヨンから湖船で20分ほどして、イヴォワールの波止場を降りた。短すぎてほんの少し興ざめた。この旅に携えていたサマセット=モームの小説―レマン湖畔に滞在した英国の諜報員が主人公だ―よろしく、湖船でゆっくり国境を行き来する、という訳にはいかなかった。もう一つ、モームの時代と異なる点があった。国境でパスポートチェックがない。誰かを捕まえたり、誰かに捕まったりする緊張感は生まれそうにない。そう、スイスもシェンゲン条約に加盟していて、フランスを含めたヨーロッパのほとんどの国とボーダレスになっている。そんなこんなで、あっけなく国境を超えた。
 僕を含めて40人ほどだろう湖船の乗客が、三々五々、チャコールグレー色の村に入っていく。中世を彷彿とさせる石壁に、めいめい、ツタや花壇を飾っている。日本でありがちな「美しい村百選」的なものがフランスにあるとしたら、間違いなく入選するだろう。
 大通りに出ると、ところどころ、チャコールグレーに浮いて、原色や蛍光色の旅行者然とした小集団が目に入る。自分のことを棚に置いてなんだけども、やはり観光地だ。ふと、飛騨古川を思い起す。一番綺麗な景色を見るのなら、一泊して、朝方静かな村を散歩する必要があるのかもしれない。既に宿を決めているのが悔やまれる。
 通りを進むと、相変わらずチャコールグレーではあるけれども、唐突に家が高い石塀に代わる。石塀の向こうには、畑か庭園か、緑がはみ出ていて、その先にやっぱりチャコールグレーの城が見える。かつて、イヴォワールの村は、ちょっとした城下だったらしい。城は対岸のニヨンでも見たけれども、白漆喰で大窓が並ぶニヨン城と比較して、イヴォワールの城は、飾りっ気のない出で立ちで、湖畔に石垣を突き出している分、無骨さを感じる。
 
 城を離れて、村の反対側に進むと、今度は、これもやっぱりチャコールグレー色だけれども崩れかけた壁に出くわす。かつての村境かもしれない。というより、先ほどのイヴォワール城の外郭かもしれない。そう、スイスが永世中立国として成立するのは、ナポレオン戦争の終結後のウィーン会議、近代になってから。つまり、レマン湖岸は、神聖ローマ帝国やサヴォイア、フランス、そしてスイス諸州の争いが絶えず、このイヴォワールも戦術的、もしかしたら戦略的な要衝だったに違いない。
 帰路、湖船を待ちながら、村を振り返ってみる。湖畔に突き出た石垣の上に城が浮かんでいる。そう大きく目立ちはしないけれども、湖岸を利用して守りを固めつつ、水運を押さえる、ふと彦根城や佐和山城を思い出した。城の縄張りというものは洋の東西を問わず似てしまうらしい。
 波止場から、対岸のスイス側ニヨンを見てみる。両岸の国旗がなければ国境だということにも気づかないかもしれない。静かな国際湖沼が横たわっていた。
 蛇足として、冒頭触れたイヴォワールのクレープはもちろん食べた。ただ、それは別の話として扱いたい。というのも、イヴォワールの村の風景と同じくらい、独立して扱うにふさわしいクレープだったから、いつかテーマにしたいと思う。


●とき
 2017年9月12日
●ところ
 ローヌ・アルプ地方、イヴォワール


●アクセス
 ニヨンの他、レマン湖畔各地よりCGN湖船など。陸路については知らない。
●もの
 イヴォワールの村、イヴォワール城
●こと
 「英国諜報員アシェンデン」サマセット=モーム

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