英国旅館(スイス/マイリンゲン)

 初に断ておくと、今から書くのは実在しない旅館の話。フィクションの中の話であるけれども、世界中で知られている旅館の話。1891年5月3日、2人の英国人が投宿し一泊過ごしたとされる旅館である。
 2人の英国人というのは、稀代の名探偵シャーロック・ホームズと、パートナーのワトソン博士。宿敵モリアティ教授から逃れ、1891年4月25日ロンドン・ヴィクトリア駅を発ち、カンタベリー、ストラスブール、ジュネーブからスイスに入り、インターラーケンを経て、5月3日にはこのマイリンゲンの村に至っている。旅程や日付が事細かなのは、ワトソン博士の記録癖(に姿を借りたコナン・ドイルの設定力)の賜物に他ならない。
 2人がマイリンゲンに至ったところで、その旅館が登場する。
 私たちがマイリンゲンの寒村にたどりつき、そのころ先代のペーター・シュタイラーのやっていた『英国旅館』に投宿したのは五月三日のことだった。亭主のシュタイラーは利口な男で、ロンドンのグロヴナー・ホテルに三年間ウェイターをつとめたこともあり、英語は達者だった。
 と、名探偵とその専属作家が追っ手を逃れてたどり着いたマイリンゲンに行ってみた。ブリエンツ湖の奥、渓谷にあるその村は存外に広かった。「シャーロック・ラウンジ」やら「シャーロック・クラブ」やら、「ホテル・シャーロック・ホームズ」やら、やたらとホームズの名を冠した建物が多くかった。村おこしの材料にでもなっているのか、辻々でホームズの名前や絵を目にする頻度は、ベーカー街以上かもしれない。そのマイリンゲンの目抜き通りの一角に、イラスト付きでホームズとマイリンゲンとの縁を解説する看板があった。オレンジ色の旅館、というよりも立派なエントランス付きのオレンジ色のホテルに、ホームズが入っていく絵が描いてある。
 通りを進んでいくと、先ほどの絵に瓜二つのホテルがあった。というか、絵の方がこのホテルに似せて描いたに違いない。そう、この5階建ての「パーク・ホテル・デゥ・ソバージュ」こそ、「英国旅館」のモデルだと見るシャーロキアンも多いという。
 「英国旅館」を横目に、メインストリートを進んでいく。渓谷をエメラルドグリーンの川が流れているのが見えた。山の方を見てみると、ところどころ、滝が急峻な山肌を伝っているのが見えた。このうちの一つ、あるを散策してみることにした。1891年5月4日、英国旅館を出たシャーロック・ホームズと同じように。



●とき
 ‎2017‎年‎9‎月‎17‎日
●ところ
 マイリンゲン、バーンホフ通り


●アクセス
 マイリンゲンの駅正面を出て、右手、バーンホフ通り直進道なり
●もの
 「英国旅館」のモデルになったパーク・ホテル・デゥ・ソバージュ
●こと
 「シャーロック・ホームズの思い出」コナン・ドイルより「最後の事件」
 ※引用文は延原謙訳、新潮文庫の八十八刷を出典とした。

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