国際連盟―パレ・デ・ナシオン(スイス/ジュネーブ)

 寿府代。何やらおめでたそうで、長生きしそうなネーミングである。と言っても、見かけたのは外務省が公表している古い電信文の中。

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寿府代 発 
本省  着  主管 国社
第〇〇号 至急(ゆう先処理) ■■
貴電国社第××号に関し、
△日、議題何某の審議に当たり、冒頭北欧5ヶ国を代表しスウェーデンが云々
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 といった具合で、「寿府代」は、頻繁に、外務省本省、あるいは他国の日本大使館や日本政府代表部との間で、日本政府なりのポジションを打ち合わせたり、国際折衝の動きを報告したり、それを転電したりしている。ジュネーブにある代表部、つまり寿府代というのは、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部の略称だそう。
 そう、ここジュネーブには旧国際連盟が本部を置いた名残で、WTOやWHOにILO、はたまたITUなりの国際機関が集中している。何よりも、旧国際連盟の本部はそのまま、国際連合に継承されて、本部機能の一角を担っているそうだ。という蘊蓄を聞いて、ジュネーブの北、レマン湖の西岸にある、やたらとIやらWで始まる機関が密集する一角にやってきた。国連銀座、あるいは国際機関銀座と言うべきかもしれないけれども、ビルの外観や銘板に書かれた組織名だけ見ても、しっくりこない。ニューヨークと違って、あまりWTOやWHOの本部はニュースの絵として見かけない。と、通りの一角、広い緑地を迂回して、目当ての建物が見えて来た。国際連盟の本部が置かれていたパレ・デ・ナシオンだ。
 パレ・デ・ナシオン。つまり、「諸国家の宮殿」を意味するその建物は、白く直線的で、大きな柱と窓。典型的な新古典様式の演出効果か、単に天井の高い廊下に圧倒されたのか、中に入るうち、自然と背筋が伸びてくる。国際連盟は、人類史上、初めて人口の大半をカバーする国際組織ということだったから、ある種の気負いもあって立派な舞台装置を用意したのかもしれない
 もちろん、前述のとおり国際連合が引き継いだのだから、この舞台装置は現役で活躍中だ。パレ・デ・ナシオンにほど近いところに新館(もっとも、国際連盟時代に旧館があり、パレ・デ・ナシオンがその”新館”にあたるという経過から言うと、新々館と言うべきか)が建てられていて、見学ツアーは国連職員のエスコート付きで、新館から始まりパレ・デ・ナシオンを周る。
 新館のロビーでは、中国がパネル展示をしていた。外交官や出入りする国連職員だけでなく、僕のような観光客の目にも、中国の国際貢献をPRするパネルが目に入ってくる。やっぱりここは現役の舞台装置であることに違いない。
 新館を出て、パレ・デ・ナシオンの中の大会議室に誘導される。流石にガラス天井の下の議場は圧巻だけれども、ヘッドホン―同時通訳システム―をはじめ、近代化改修がなされて古い感じはしない。WHOの総会などで利用されているようだ。国際連盟が26年、国際連合が70余年と考えると、もはやこの会議室も国際連合の資産としての歴史の方が長いことに気付いた。日本史の教科書や参考書で見かけた会議室はどうやら見る影もなさそうだった。
 見学ツアーの終わり際、案内してくれた国連職員氏が、ツアーの顔ぶれを見て、別れ際に挨拶。
 「サンキュー、メルシー、スパスィーバ、謝謝」
 スペイン語のグラシアスやアラビア語のあいさつもあったかもしれない。いずれにせよ国連の公用語でありがとう、と伝えてくれた。
 それを聞いてふと思う。歴史にifはない、あるいは歴史は必然、と言われるけれども、100年近く前にこのパレ・ド・ナシオンに事務局次長を輩出し、常任理事国の一角を占めていた日本が、やっぱりここパレ・ド・ナシオンでの議決をきっかけに国際連盟に「さらば」を告げたのは、少しもったいない気がした。逃がした魚をレマン湖に見たのだろうか。



●とき
 2017‎年‎9‎月‎12‎日
●ところ
 ジュネーブ、ナシオン広場(大まかな住所は末尾参照)



●アクセス
 ナシオン広場に面した正門、国連加盟国の国旗掲揚台から左時計回りに国連の敷地を半周すると、通用門が見えてくる。
●もの
 パレ・デ・ナシオン

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