蹄音とともに、ウーグモン農場へ(ベルギー/ワーテルロー)

 ツ、コツと小気味良い音が聞こえて来た。この近くの農場の馬らしい。道を譲ると、馬の主人らしい夫婦が会釈をしてくれたので、こちらも返した。もしかしたら、この馬と行先は同じかもしれない。ちょうど、ある農場を目指していた僕は、そう期待した。
 ライオン像の丘を下山して、あぜ道を進む。周りはジャガイモ畑だろうか。低い緑が連なっていて、約200年前が嘘のような田園風景が続いている。
 途中、ところどころに石碑があって、こんな文言が書いてある。
 この石碑は、1815年6月18日のワーテルロー会戦の間、A.Cマーサ大尉率に率いられた王立騎砲兵G中隊の最終位置を証す。この位置から、中隊はフランスの騎兵隊による攻撃からの防衛において、特筆すべき働きをした。
 そう、ここは百日天下の皇帝ナポレオン率いるフランス軍と、ウェリントン公爵が率いる英軍を中核とした連合軍が争った、天下分け目のワーテルローの古戦場であり、ちょうど中盤終わりのハイライト、フランス軍の騎兵が突撃するのに対して、英軍が方陣で対抗した辺りらしい。石碑に登場するG中隊は、突撃してくるフランスの騎兵に対して、後退することなく阻止砲撃を続けたことで有名だそうだ。
 と、あたりを見回して、改めて地平線まで見通せそうな大陸の風景を実感する。当時の陸軍は、幾何学的な隊列と陣形が基本だった。ほとんど平らな大陸の戦場を、フランスの歩兵が横列を組んで進んでいく光景は、体育館のモップ掛けのようなもので、これを妨げるにはモップの進行方向に障害物を置くしかない
 その障害物にうってつけだったのが、この地方に点在する農場だった。ワーテルロー会戦の激戦地のいくつかは農場であり、そのうちの最も趨勢に寄与したといわれる、ウーグモン農場―海岸につながる街道手前、かつ英仏両軍のただ中にあった―に向かっている。
 ジャガイモ畑に囲まれたあぜ道の先は林で、その林を抜けたところで馬と別れた。どうやら、馬はウーグモン農場にようはないらしい。遠目にオレンジ色の屋根が見えるのを見つけて、緩やかな坂道になっているあぜ道を進んでいく。あぜ道の先に、ウーグモン農場はあった。
 「兵どもが夢の跡」というべきか、ウーグモン農場も夏草に囲まれたただ中にあった。周りは牧草地になっているらしく、遠くで牛の鳴き声と蹄の音がする以外はとても静かだ
 堅牢なレンガの壁に、狭間のような形で窓が開いている。守るに易く、攻めるに難しい、数で圧倒するフランス軍の波状攻撃を、イギリス軍が防戦し通せたのがよくわかる。ちなみに、ワーテルロー会戦の最中、歩兵による攻略が上手くいかないのに業を煮やしたフランス側の砲撃により、ウーグモン農場は写真の南門と、中の礼拝堂を除いてほとんど破壊されている。
 その南門の脇に、また石碑があって、ユニオンジャックのカード付きで、造花の花輪が手向けてある。イギリス側の精鋭として知られるコールドストリーム近衛歩兵連隊がこの南門を保持し続けた記念に石碑を置く云々、と書いてあった。花輪は連隊ゆかりの参拝者が置いていったものらしい。
 農場の隅で、牛が午睡明けなのか、眠そうな目をして寝っ転がっていた。激戦から約200年後、ウーグモン農場は農場らしく、牛が主となっていて、そのあくびのような気の抜けた鳴き声だけが聞こえていた。



●とき
 2013‎年‎9‎月‎15‎日
●ところ
 ブレン・ラルー、グモン小路、ウーグモン農場(大まかな住所は末尾参照)
 正確にはワーテルローの古戦場とともに、ブレン・ラルーの村の一部に入るらしいけれども、やはりワーテルローと紹介したい。


●アクセス
 ライオン像の丘からあぜ道を直進、林を過ぎて道なり。
●もの
 ウーグモン農場と、その農場の牛。ちなみに、現在はワーテルロー会戦200周年記念で往時のとおり復元されているようだ。

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